2019年


ーーーー5/7−−−− ひらがなの練習


 
毎朝、血圧を測定してノートに記録する。書くのに使うのは万年筆。太字と細字の二本の万年筆を日替わりで交互に使う。もう一本万年筆がある。父の遺品で、生前私がプレゼントしたもの。血圧の記録が済むと、三本目の万年筆で百人一首を一つ書く。何を書くかは、その時の気まぐれである。このように、毎朝必ず万年筆を使うようにしている。何故他の筆記用具ではないのか。それは単に万年筆のペン先の乾燥を防ぎたいからである。

 百人一首は全てひらがなで書く。理由は、ひらがなの練習をするためである。小学生じゃあるまいし、今更ひらがなの練習なんて、と思うかもしれない。私は手先が器用な方だと思うが、小さい頃から字は下手だった。この歳になっても、綺麗な字を書きたいという願望が捨てきれないのである。

 普段は思い出した一首をスラスラと書くだけだが、ときおりひらがなの手本帳と見比べて、字の形をチェックする。すると、正しくないバランスであることに気が付いたりする。何百回も繰り返している事なのに、なかなか身に着かない。やはり自分には、字を綺麗に書く能力が乏しいのではないかと疑ってしまう。

 それにしても、ひらがなというものは、独特の文字であると、つくづく思う。

 会社勤めをしていた頃、技術打ち合わせのためにパリへ出張した。初老のフランス人エンジニアは、日本語を勉強していると言った。日本人が渡した名刺を見て、ひらがなに書き直し、その紙をそっと私に見せた。はっきりとした字で「かつみ」と書かれていた。私はそれを見て、かなり本腰を入れて勉強しているのだと想像した。日本語を学んでいる理由を聞くと、単なる興味からであって、実益とは関係ないと言った。

 ひらがなは形をとらえるのが難しい。アラビア文字は知らないが、アルファベットよりは格段に難しい。字の数も多い。外国人にとっては、まさに不思議の国の文字であろう。しかも、綺麗に、バランス良く書くとなると、日本人にとっても悩ましい。

 ひらがなの元となった漢字を見ても、謎は深まるばかりだ。字によっては、何の脈絡も無いようにすら感じる。たとえば、「つ」の元は「川」だとか、「し」の元は「之」だとか言われれば、驚いてしまう。成り立ちが謎めいているから、字の正しい形に関して迷いは尽きない。

 少しでも綺麗なひらがなを書きたいと願うわけだが、手本帳を見ても、あまりピンと来ない。このように書くのが正しいというのは、このように書けば美しく見えるという事なのだろうが、そのルールの背景にあるものが見えない。美しさの原理が読めないのである。  

 かくもファジーで掴みがたい性格の文字であるが、そのひらがなにも美しさの拠り所を与えようとするのが、一つの日本の伝統的な美の世界なのかも知れない。

  逆に、ひらがなの形が日本人の美意識を形成する要因となっているとも言えるだろう。左右対称の幾何学的な形よりも、無作為にちょっと崩れたような形に「味がある」とするのが日本の美的感覚の一つの特徴だが、それがひらがなに由来するとしても、的外れではないと思われる。




ーーー5/14−−− GWのハイキング、怖いおまけ付き


 
GWに帰省した次女夫妻と、ハイキングに出掛けた。長野市の西部にある虫倉山。標高は1400m足らずであるが、信州の名山に数えられる山である。これまで何度か登ったことがあり、不動滝コースと呼ばれるルートは、登山口から1時間ちょっとで山頂に立てる。登山口まで車で1時間半ほどかかるが、その時間をかけても惜しくない、良い山である。

 国道19号で長野市へ向かい、笹平で西に折れて旧中条村に入るのが、通常のアプローチである。だが、それだと遠回りになるので、信州新町から北に曲がり、ひと山越えて小川村に入り、登山口に向かうルートを辿ったことがある。今回もそのルートを使うことにした。

 準備を終えて自宅を出たのが10時。山に行くにしては遅い時刻である。その上、途上で買い物をしたり、ガソリンを入れたりと、のんびりペース。それでも一同は意に介さない。「のんびりでいいよねー、1時間で登れる山だから」という言葉が何度も聞かれた。

 信州新町から例のルートに入った。しばらく走っていくうちに、なんだか見覚えが無い景色のように感じだした。グニャグニャ曲がる山道を進むと、だんだん道が狭くなり、明らかに様子がおかしくなってきた。娘がスマホのGPSで調べたら、国道に戻るような方向に進んでいると。どうやら途中で道を間違えたようだ。来た道を戻っても、元の場所に帰れるかどうか分からないので、そのまま先に進んだ。さらに状況は悪くなり、軽四輪がやっと通れる道幅で、急斜面のつづら折りが続くようになった。こんなに険しい道を走るのは、何年ぶりだろうか。

 しばらくすると、軽トラが停めてあり、お爺さんが山仕事をしていた。「国道19号に出たいんですが・・・」とたずねると、手で空間に地図をなぞるようなしぐさをして、「こうやれば行けるずら」と言った。ともかく、この道を辿れば国道に戻れることが分かり、一筋の希望が芽生えた。しかしその後も、厳しい道は続いた。人里離れた山奥の急斜面を、しずしずと下る軽のワゴン車を見た人がいたら、何と思っただろうか。

 そんな山奥でも、道端に一軒の家があった。その先しばらく行くと、また一軒あった。斜面に開かれた小さな畑を耕している人がいた。何故このような場所に住まなければならないのか?という疑問が沸いた。冬場は雪も積もるだろう。そうなれば、この道路を通るのは命がけになるだろう。

 さんざん不安と恐怖を味わった挙句、ようやく見覚えのある場所に出た。元来た道に戻ったのである。そこから国道に向かってしばらく下ったら、分岐に出た。小さな標識があり、先刻我々が進んだのと反対側に小川村方面と書いてあった。ここで間違えたのだ。

 登山口に着いたら1時になっていた。自宅から3時間もかかってしまった。それでも躊躇無く登山を開始した。なにせ1時間で登れる山である。

 天気に恵まれ、山頂の展望は素晴らしかった。弁当を広げ、コンロで湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。頂上のひと時は楽しかった。

 下山して帰路についた。道路沿いの温泉施設に入ったら、GWにもかかわらず空いていた。それから白馬村に抜けて、雪の北アルプスを眺めながら走った。時間が押しているので、青木湖畔の喫茶店でお茶という計画は断念し、まっすぐ自宅に向かった。帰宅したら6時になっていた。

 恐怖のドライブという想定外のおまけが付いたハイキングになった。ともあれ、無事に帰ることができて安堵した。「1時間で登れる山で良かったね」という言葉が、お互いの口から出た。





ーーー5/21−−− 中学生のラー油


 
高遠城址公園へ花見に行ったとき、案内をしてくれた友人が、高遠閣でラー油を買おうと言い出した。「なぜこんな所でラー油?」と思ったのだが、友人の説明によると、地元の長谷中学校が作っているラー油で、この場所でしか購入できないとのこと。興味をそそられたが、あいにく品切れで購入は叶わなかった。

 先日、伊那市内で大掛かりな木工イベントが開催された。それに私も協力参加したのだが、会場に並ぶ地元産品の飲食コーナーにそのラー油があった。思いがけないチャンスに喜び、普通のラー油と、三倍辛いラー油を一本ずつ買った。

 商品に添えられた説明書を読むと、こんなことが書いてあった。

 長谷地区は中山間地であり、人口の減少が進み、少子高齢化に苦しんでいる。遊休農地が多く、深刻な鳥獣被害もあり、先祖伝来の農業を守ることが困難になっている。長谷中学校では「中学生にできる地域おこし」をテーマに自分たちにできることを探してきた。そして鳥獣被害が少ない八房とうがらしに着目し、長谷の特産品にすることを思いついた。種まき、栽培、収穫、商品加工など、地域の人たちの協力を得て、全て中学生の手作業で作っているラー油である。これが長谷の地域おこしの起爆剤になればと願っている。

 味のほうは、上記のような説明を読んだ後だからか、一般のものよりは美味しく感じられた。ただ、注ぎ口の穴が大きく、液がドボドボ出てしまい、しかも瓶の外側に垂れるのがちょっと難である。

 ともあれ、中学生が地域のために活躍するというのは、良い事だと思う。そういうことが具体化できるのは、地域社会の規模がちょうど良いからかも知れない。過疎化は深刻な問題だろうが、その一方でなんとなく明るい希望が感じられる話でもある。




ーーー5/28−−− 目に留まること


 
会社勤めをしていた頃の話である。平社員が、所属部の枠を超えた上司(お偉いさん)の目に留まるのは、意外な事がきっかけとなったりする。

 同僚のKさんと会社の廊下を歩いていたら、向こうから取締役のS氏が来た。すれ違いざまS氏は、「おやK君じゃないか、例の件よろしく頼むよ」と言った。Kさんは「はい、了解しました」と応えた。取締役がKさんに直に声を掛けるとは何ごとか?、通り過ぎてからKさんに聞いたら、「ああ、ゴルフのことだよ」と言った。

 ある出版社に編集者として採用された女性。入社早々から重役の目に留まった。そのきっかけは、社内スポーツ大会のバスケットボールで活躍したからだと。学生時代にバスケをやっていたが、特に上手いというほどではなかった。しかしそのバスケ大会、回りは男性社員ばかり、しかも彼女は左利きなので、目だったようである。その後敏腕編集者として名を上げたが、そのスタートポイントは、バスケだった。

 逆に変なことで覚えられることもある。私が会社を辞める日、上司に連れられて取締役本部長の席に挨拶へ行った。もちろんそれまで直接話をした事など無いし、会議に同席したことも無かった。私の意に反して、本部長は「ああ、君のことは覚えているよ」と言った。「ニューデリーで、日本企業の親睦ソフトボールの試合があったとき、君はエラーをした」。本部長は野球に特別な関心があったようである。

 会社ではないが、やはりスポーツの付き合いが仕事に役立つことがある。地区の区長を務めた人が言っていた。自分は地元で生まれ育ったわけではないので、人間関係が広くない。それでも、ゴルフ仲間がいるので、区長の仕事を遂行する際に、ずいぶん助けられたと。

 本筋とは違う方面で、人は親近感を持たれたり、印象に残ったりするのである。